思い出の街にようこそ その1


 
基本的にあたしは「酔っ払い」という生き物ではないらしい。
あたしの実家の近くの浜松町の交差点に、今考えるとまるでそこだけ新宿のしょんべん横丁を移植したような・・ちょっと名前忘れたんだけど立ち飲み屋さんがあるんだけど、小さい頃は仕事が終わった頃そこで立って飲んでいる大人達を横目に、「ああ、こんな所で立ってお酒飲む大人にはなりたくない・・」って思ったもので。
 小さい頃は結構いい子ちゃんだった。自分でいうのもおかしいけれど、大人達がハメを外して飲んで騒いでたりするのを見ていて何故かしか見てるこっちが罪悪感を覚えたし、少し性質の悪い冗談とかも通じない子どもで、テレビでそういうものをやっていたりするとチャンネルを変えてくれるようにせがむ子どもだった気がする。
 おまけにあたしは酔っぱらいが好きか、嫌いかで言えばきっと嫌いなんだろう(笑)これは全数じゃないけど・・・酔っぱらい・・いや、常に酒ばっかり飲んでる人の酔ってる時って嘘つきが多い気がする(笑)
 自分があまり飲んで暴れるタイプじゃないので、ついつい冷静になって見てしまうけど・・。酔った席で必死になって話しとるのでこっちも真剣になって聞いてたりすると・・その人の酔いが醒めた後、改めて聞き直してみると・・「あれ、そんな事言ってないよ・・なんて返されちゃったりするのだ。それが楽しい酒だったらいい。まあ許してあげましょう(笑)でもからまれて激論になり、大勢の前で非常に罵倒されたりあげくには殴られたり髪の毛掴まれてひっぱりまわされた日にゃ・・それは激怒どころの騒ぎじゃない。・・楽しい酔っぱらいの嘘つきは好きだけど、陰惨な酔っぱらいの嘘つきは大嫌いなのだ。それで何度イヤな思いにさせられただろう・・


 ・・・なのに、何であたしはいまだに夜の新宿なんぞでアルコール臭い息をかけられつつも唄ってるのだろう??(笑)
思えば世間一般的に言う・・グレ始めて(笑)お酒、煙草、男というものに興味を持ちはじめたのはいつぐらいだったろうね(笑)・・・お酒は確か中学一年ぐらいの頃からキッチンのビールだのを少し失敬するようになって・・それから少し年上の友達らに誘われれば飲みに行くようになったし、煙草の方も本当に始めて吸ったのは、これも中学一年ぐらいだったような。でも喘息だったもんで、この時は確か深入りしないで、本格的に吸いはじめたのは高校一年。・・当時ディスコブームみたいなのんがあって、夜・・本当は六本木なんて街は実は自分にとって居心地のいい街なんかじゃなかったんだけど、(今でもそうだ(笑))たまたまあたしの家から徒歩で行ける距離なので(笑)よく夜中家を抜け出した。・・まだ当時は風営法なんてなくて、12時過ぎてもディスコってやってたっけ。
・・・中学は私立の女子校だったもんで、それに比べれば男性・・とかは奥手な方で(笑)まぁ・・周りにあんまりいないもんだからそこら辺に関しては・・高校に入ってから・・という(笑)ごにょごにょ・・。クラスの女の子がよく他校の・・男子校の子らが仲良くなってて、文化祭に呼ばれたり呼んだりしてたみたいだけど、・・とりあえず紹介してはもらうんだけど・・鳴かず飛ばず・・。
だ、もんでひねくれて、なんか・・その後の人生は・・夜の新宿とか・・そういう方向に行ってしまった気もするんだけど。
でも、基本的にあんまり強いほうじゃなかった。・・日本人って「アルコール分解酵素」が他の国の人らに比べて少ない人が多い・・とよく耳にする。・・きっとあたしもその少ないうちの一人だと思う。元は絶対強くない。
・・・ある時期非常に強かった時期があったんだけど・・それは無理して飲んで鍛えられただけ(笑)おかげで力いっぱい胃潰瘍をやり、大変な目に遭ったけれども(笑)・・・今は放っておくと本当に飲まない。適度に距離を置いてつき合っているつもり。


 さきおととい、新宿の通称「しょんべん横町」・・正式名称思い出横町と焼き鳥横町・・が火事で焼けた、というニュースを仕事帰り、「夕刊フジ」の見出しで知った。実はその日の夜、テレビ朝日の「テレビジャングル」という番組の取材があって、夜は新宿で唄っていたのだ。あたしが唄ってるのはしょんべん横町の駅側の出口のすぐ横の通路。火事で焼けたのは反対側・・大ガード側のほうらしい。・・実はこの時点であたしはまだ焼けた所を見にいってないのだ。実は火事があった夜、しょんべん横町のすぐ横を通って帰ったのだが、気がつかなかった。火事があったのは反対側で。どこの店が残っているのか、どこの店が焼けちゃったのか・・実はまだ確かめていない。今でも全然信じられない・・酒飲みという生き物じゃないにしても、そりゃ・・・真横で唄ってるものだから、思い出も当然いっぱいある。今は帰りに一杯ひっかけないにしても、一時期は完全に吐く息が「きのえ」とか「日鶏園」の青リンゴサワーに入っているとんでもなく安い焼酎のニオイをぷんぷんさせてたあたしにとって、・・思い出がないワケないじゃない、という感じなのである。


 とにかく23ぐらいまでは確実にあたしはその場所にいた。
・・正式名称があるのに何故か「しょんべん横町」と言われるその場所に。
唄いに行く前、行った後、とにかくそこら辺を探せば絶対みつけられる、というぐらい。・・まぁ、後年ノドをやられて、「酒を飲んでから唄っちゃいかん!」というのに気付くまでは相当かかったのだけれども・・あの頃は酒焼けした野太い声で唄ってたなぁ。・・ハイがつぶれた・・今聞くと完璧に別人(笑)・・あたしは今の声のほうが自然で・・発声も理にかなっていて、ありのままの自分という感じで全然好きなんだけど、あの頃の声を知る人は、「昔のが黒人ぽくって良かった、最初聞いた時絶対日本人じゃないと思った」っていう人が何人かいるけれど。
何てったってしょんべん横町は、1000円か2000円ぐらい持っていたらたらふく飲めるのが良かった。特に当時良くいたのは・・「きのえ」と「日鶏園」で、・・この2つは同じオーナーがやっている店で・・もう何年も前からないのだけれど・・この店内でどれだけの語り合いと、どれだけのもめごとがあったか(笑)・・今はよくこまかい事は憶えてないのだけれども、なぁんか・・よくあの頃からまれて←・・からまれやすいのです、目立つんで・・あたし(笑)もめてた気もするなぁ。・・楽しいお酒もいっぱい飲んだけど、・・でももめ事もすんごい多かったな。


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