最後の証人Page.3


「ねえ、10億円欲しくない?」山手線並んで座る車中で、Yちゃんはそう言った。
「ええっ・・そりゃ、あったら、あったで、こした事ぁないけどさぁ・・あたしは、自分が歌って生きられる位の金がありゃ、あんま贅沢は言わないけどさぁ・・。」
「オレンジ・ホヨヨワン」
えっ・・どういう事だ?会話に脈略がない・・と、判断する間もなく、そうか、そういうモードに入っちゃってるんだ、この子は、と、瞬時に察知した。あたしとの会話は片方で成立しているが、関係なく、端々に違う言葉が入る。
突然、「10億ほしぃーい!」と、大声で叫んだ。終電の山手線、酔っぱらいまでもこっちを見ている。
が、何となく、ここで「やめなよ」って言う気は起きなかった。何となく、彼女が、目に見えない他者と会話しているように思えたからだ。彼女は彼女なりに、対話をしているような気がした。
Yちゃんは、くりかえし、「ごめんね、あたし、クスリはやってないんだけど」と言って雨に濡れた子犬のような目をして、謝った。


 あたしの部屋に着いた途端に出してあるギターを発見し、つたないコードを追っかけて弾き始めた。「ねえ、Mちゃんに電話する?」と聞いたら首を横に振った。
相変わらず会話の端々に違う言葉が混じっているが、あたしにこんな質問をした。
「ねえ、ユミさん、まだ、あの男の人が忘れられなくて、歌ってるの?」
「違うよ。唄の中にそういう情景は入るかもしれない。けどね、自分が唄の中に託す言葉ってのは、色恋沙汰、そういったものだけじゃない。それは、普通に生きていても同じでしょ?あたし、とっくの昔にどうやら自分が生きる事と、歌うこと、それは同じようにリンクしていて、誰に語るのと同じようになってるよ。もう。・・・ひょっとしたら、あいつが忘れられなかった一瞬も、入ってるかもしれないけどね。でも・・もう、とっくの昔に、終わった事だよ。」
「でも、色恋沙汰こそ、唄、でしょ?」
ああ、この子は、そうなんだ。間違っているとか、いないとかじゃなく、あたしとは違う観点で、唄を見ている。
「ねえ、Mちゃんから、あの頃・・あいつに徹底的に騙された事とか、聞いてるの?」
「ううん・・・あたし、何も聞いてないよ・・。本当に。」
「嘘・・だって、同級生の子、一人騙されてたじゃん。あたしの所に、あの子、乗り込んで来た事、あったよ。彼は渡さないって。ユミさんには、負けたくないって。勝ち負けじゃないのにね。・・結果的には、あたしもあいつには、ちょっと言えない事ぐらいの事されたけど・・本当に、大昔の事だけど・・。」
「ううん・・・ごめんね。何も聞いてないんだ・・・」
きっと、Yちゃんは聞いているんだ。と、同時に、あたしは、この子は、自分が持った傷とあたしがかつて背負った傷を共有したいんだな、と、感じた。でも、気を使って質問を引っ込めたんだ。


 一人きり・・・道を選ぶと、やっぱり誰かに傷を舐めてもらいたい時がある。
どうしようもなく暗い部屋で、誰かに自分の傷を聞いて欲しい夜もある。
それが男と女だったら、言葉じゃなく体で慰め合う夜もある。
生きるなんて、そういう事の繰り返しなんだろうと、あたしは少し感じてきている。
でも、ごめん、あたしには、その傷を共有できない。
共有すると・・今唄ってる事が嘘に、なりそうで。


「頑張ったら頑張ったで、報われるっていう方程式じゃない。子供じゃないから、あたしはもう判っている。だけど、落ちていったら、もう上がれなくなりそうな気がしてさ。だから、もうちょっと何とか立ってようと思うんだ。」と、あたしはYちゃんに言った。
Yちゃんは、「頑張り屋さんだね・・・」と、ささやくように、言った。


 あの頃みたいに、ふとんを並べて雑魚寝した。
あたしの頭の上にも、Yちゃんの頭の上にも、それぞれ9年なんて時間が過ぎていったんだな、なんてYちゃんの方に向いて、あたしは言った。彼女はもう、眠ってしまったらしい。
 あたしは何時間か、ぼんやり、あたしにとってそれがどういう時間だったのか、考えていた。そして、Yちゃんには、どんな時間だったんだろう、と、考えていた。
変わってないのは、こうやって、ふとんが並んでいる事だけ、なのかもしれない。


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