ワシントン靴店の上、コダックの看板を見つめて泣いた
何回、もう全てをやめてしまおうだなんて思ったっけ。全てを飲み込むにはまだあたしは若すぎて、かといってなんだかもう、取り返しのつかないような所まで来てしまったような気がして、時々唄ってる最中にこみあげては泣いて、だけど誰かに泣いてるのを見られるのはシャクだから、急いでギターケース片づけて、東口側の地下道の出口のスロープの石段に座り込んでは、泣いてたっけ。だけどそんな時こそ決まって、誰かに見られていて、「そこの地下道で唄ってる人ですよね」って声を掛けられちゃうんだけどさあ。
流石にそんな時でも意地っぱりというか、見栄っぱりというか、やっぱり泣いているのは見られたくないからさ、仕方なし、ギター抱えてうつむいて泣いてるんだけど、うつむいて泣いているとなんだか余計に惨めで、しょうがない、また上向いて涙の流れるままにしておくんだけどさ。
丁度その場所から、ワシントン靴店が斜め前にあって、今はタバコのマルボロの看板になっちゃったんだけど、昔はね、コダックの黄色い看板だったの。あれを何となし、ぼんやり眺めては、あてどなく1時間も2時間もだらだらながなが泣いてた事もある。おかげで終電逃しちゃって、結局そのままオールナイトの映画館で泣きつかれて眠るなんてパターンもあったような気がする。
今のマルボロの看板はカウボーイが斜めに構えてカウボーイハットをかぶって小粋にタバコふかしちゃってさ、かっこいいと言えばかっこいいんだけど、泣きながら眺めるにはなんとなくそんな感じじゃないのよ。気分じゃない、っていうか。それより何より、ワシントン靴店の上を眺めながら泣く、なんて事はもうしばらくないような気がする。ああ、そうだ。もう、4〜5年か5〜6年ないかもしれない。ひょっとしたらあの看板がマルボロに変わるよりしばらく前から無いかもしれない。随分あたしも図太くなったんだなって思う。だって、あの看板がいつごろ変わったなんてあたしにはもう思い出せないもの。
コダックの看板って何か良かったのよ。あれが、新宿の全て、って感じがしたもんね。特に、黄色って所がポイント高かったかもしれない。
もう視界なんてぼんやりで、きっと鏡を見つめたら目が完全にうさちゃん状態であろう時に、ああ、もう、あーん、なんて子供のように混乱しながら眺めるにはとても良かった。他にはぼんやりしすぎて、何にも判別が出来ない状態で、ましてや唄ってる人ですよねなんて声掛けてきてくれる人がいつ見ててくれたかなんて正常な判断ができない時、唯一あの黄色だけはなんとなく判別できたし、黄色って色があたしを無理して頑張れというわけでもなく、かといって突き放す訳でもなく、なんとなし見守ってくれていたような気がした。それだけでも何処か心強くなれるような気がした。
看板には温度計と時計がついていて、確か、あの看板が変わる直前の冬あたり、最後の方は相当イッちゃってたのを憶えてる。時計の方が、0の時電球が全部つかなくて、中が抜けたcとかになってて、あと温度計のほうかなんかが、⊃みたいになってて、両方見つめてると、おいおい、時計なんだか温度計なんだか視力検査なんだか良く判んねえぞって感じだった。それが又、アバウトで良かった。それがあたしの中の新宿だった。
今のマルボロの看板は、昔みたいな豆電球の表示じゃなくて、青白いデジタルの文字で、異常に正確に温度と時間を教えてくれてる。前みたいなアバウト表示は当然ながらない。きっとあのコダックの看板に寿命が来たから変わったのかもしれない。時が変われば、何かが新しくなる。あたしが、泣かなくなったのと同じように。
新しい事も悪くはないよ。でもね、時々何だか無性に懐かしくなることもある。あの頃みたいに、人目をはばからずだらだらと泣けたらな、と思うこともある。だけど、あたしはもう泣かないだろう。あたしの中で蓄積された誰かの言葉や、通り過ぎた様々な景色や、息苦しい程積み重ねられた思い出があたしの背中を押して、あのコダックの看板みたいになんとなしに見守ってくれてるんだろう。時が過ぎるのも悪くはないよ。あたしは泣かなくなった、それはいい事だろう。だけど、無性に懐かしいことだけは確かなんだけどね。と、ここまで書いてきたけれど、最近のマルボロの看板にも、期待できるような「?」の事柄がある。これはアルタの上の電光掲示板とセットで見て欲しい。アルタの電光掲示板は1カ所で時計と温度計が交互に点滅するんだけど、時間はぱっちり合っているんだけど、いかんせん、温度の方が、1〜2℃のズレがあるんだよ。このデジタル化の世の中、正確極まりない計測がまかり通ってる中、たかだか数メートルしか変わりがないのに、この温度差って一体何だろう?ワシントン靴店看板恒例のアバウトさが出てるのか、それともアルタの方が信用できんのか?楽しみな所ではある。どっちかが、風が出て寒いから、体感温度で計っちゃえ、なーんて事だったらそのアバウトさは大いに歓迎。
でもね、よく、あたし真冬の寒いとき、基準はコダックの看板だったけど、うーん、今日は寒い、これは4℃しかないだろう、おっ、当たった!なんて温度あてゲームをしてたから、いかんせん看板が変わった後はちょっと調子が出なくて良くない。どっちかが正確だって誰かあたしに耳打ちしてくれんかね。こっそりでいいから・・と思いつつ実はあたしは体感温度の基準さえあのコダックの看板のクセが染み着いていたんだなあ。まあ、最後のほうは判別不能だったけどね(笑)
最後に、実はアルタの看板も、アナログ時計からデジタル時計に変わっちゃってからしばらく経つんだよね。大テレビの画面が白黒からカラーになったのはもう大分経つけど。こっちの方は最近、まあ、1〜2年ってとこかなあ。そう、これも何となくしっくりこないのだ。いつかあの巨大な長針によじ登ってぶら下がってやろうと思ってたのに・・(無理無理(笑))・・と、思いつつ、実はあたしはコンピューターやら打ち込みやら駆使しつつ、実はアナログ人間だという事をこの長々な文章でばらしてしまったんでしょうかね(笑)
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