私信-99to87-
あなたに手紙を書くのは何度目になるのか、もう、忘れてしまいました。
そのうちあなたに届いたのはあたしがまだ10代の頃書いた幼い文章の何通かで、多分、あなたは何処かへ捨ててしまっただろうし、あたしも一体何を書いたのか、もう思い出せないのです。
内容なんて今となってはどうでもいいんです。ただ、あの時、懸命にあなたに気持ちを伝えようと何枚も書いては破り捨て、何回も読み直して、そう、何日も悩んでやっとポストに入れた、そんな記憶があります。あれから時は頭上を隔て、10代だったあたしはいつの間に、大人になったという事も通り越した所に来てしまった。そしてあたしはあの頃のあなたと同じ年代に立っている。
何年かに一度、思い出しては、住所すら判らないのにまた手紙を書いて、そして出さないままに時を過ごしていました。この手紙もきっとあなたには届かないでしょう。だけどいいんです。大人になって解った事もあります。こうやって、届きもしない手紙を書くことによって、あたしは何処か頼りない自分自身の気持ちや言葉の在処を確認しているんでしょう。今現在あなたが何処に居て、どんな気持ちを持って生きているか、あたしには知る由もないし、かといって今のあなたを想像して手紙を書くなんてあたしにはできそうもないのです。心の中にかすかでも残っているその影に向かって言葉を発するしかないのです。
思い出なんて、美しく残そうと思えば幾らでも姿を変えていくものです。今のあたしに都合がいいように思い出の中のあなたを変えてしまうのはきっとあなたに対して失礼な事なんでしょう。もし、過去に対して傷を持っていたとしても、それを乗り越えようとするあまりにどうやら人というものは痛みの記憶というものを少し書き換えてしまうような所がある。それはあたしに限ってもそうで、例えば誰かと痛みについて語り合った時は、「その時は他の所にこういう光を見たから」なんていうように少しでも救いを見ようとする。それは事実だったけど、時が離れてしまった分、時が解決してくれた分だけ、だけどやっぱりその痛みの本質を明らかにしておこうと思うのです。
よく、同じ所でつまづくことがある。そして同じ場所をぶつけて、また痛みを感じることがある。だけど、同じ場所を何回もぶつけていれば学んだ分だけ最初の痛みよりは、幾らか痛くない気がする。だけど、それは何処か嘘で、本当はあの頃泣いて過ごしただけの痛みは感じているのに、それを学んできた自分のプライドが、涙を流すことをも許さないのです。
時々、なりふり構わずあなたにぶつかっていった10代の自分が羨ましくも思うのです。
そう、あなたに恋をしているだけでよかった10代の自分が少しだけ眩しくもあります。ただ、あたしの失敗というのは、あなたに答えを求めてしまった、そこにあったように思います。あたしはもうしばらくの間恋なんてしてないし、そう、あれから10年も経ってしまったからそれは言葉に出来ない位の出来事が体の上を通り過ぎたし、とりあえず一人でいる事の淋しさや喜びも解りすぎるぐらいに解ってしまったから、そう思うのかもしれません。
記憶なんて、本当に変えてしまおうと思ったら幾らでも変わるもんでしょう。正直言って、あたしも、あなたがあたしを抱いたことにすごく傷つけられたし、それはそれなりに意味の有った事だろう、なんて色々考えてみたりもしました。笑っちゃうけど、本当はそれ以上、人に話したら絵に描いたような転落の人生の物語みたいな事ってあたしの人生の中にはあったのに、自分の人生、とくに男と女の事について考えたりすると、他の事はもう遠い出来事のように感じるのに、ただ一つ、未だに何となく引きずっているのはあなたとの事だけなんです。本当にね。なんでだろ。あれは一つの戯れだったんだ、と思えば思う程他の辛かった出来事が引いて、あなたとの関わりだけを思い出してる。多分あたしはあの頃子供すぎるくらい子供で、全てを許容する力が無かっただけなんだろうけど。
確かに30代になった今、冷静に考えてみると、10代後半の若い子がそんな力をありったけに自分にぶつけてきたら、眩しくも思う。何故なら、・・・・幾らね、回りの同年代の人たちに比べたらそりゃ、新宿なんて街の路上で唄って跳ねてるもんだから、好き勝手やってるもんだから、元気なほうだとは思うけど、やっぱり色々判りかけてきて、確かに少し疲れてきてる。正直言って。心の隙間も少し空いてるとは思う。そんな隙間に若い誰かが入り込んできたら眩しいかもしれない。
だけどね、あの頃のあなたの年代になって、そんな事が少し判ってきたから、あえて思うのかもしれないけど、やっぱり、あなたはずるかったと思う。・・・今更、責めるとかそういうつもりはないけどね。きっと今のあたしが同じ立場に立ったなら、多分同じように抱いたりしないと思う。似たようなシチュエーションで誰かを抱いたなんてあったけど、それはあたしが求めたんじゃなくて、それは求められて色々話したけど判ってもらえなくてそれ以上話すのももう、駄目だったなんて事、だったっけね。
一つだけ、思うのは、幾らか何かを繰り返してきて、あたしは多分何処にも逃げない、いや、逃げられないんだろうな、って思う。これは責める、責めないじゃなくて性分の問題で、多分あたしは何処かに逃げ道を作れる才能が無い人間なんじゃないかなと思う。それこそ上手く、日常の中で何かにすがったり、道に迷ったとき何かに逃げられたら、それはそれで本筋に戻るなら、いいんじゃないかとも思うのです。そうできればね。
だけど、これは基本的に才能が要る事で、そういう才能がなければ傷ついて、元の道から遠ざかっていくしかないのです。そうできなければ、元々の道をまっすぐ行くしかないんです。どっちにしろ、あたしみたいなタイプの人間には二つに一つしか選択肢がない。だからたまに道に迷うときは、こうして過去の記憶をひもといて、また同じ場所を迷って、そして又同じ道に戻って考えながら進むしかないのかもしれません。だから、こうやって、届く宛もないのに、だけど、あの頃のあなたに少し何かを聞いてもらいたくて手紙を書くのかもしれません。
あなたに手紙を書くのは何度目になるのか、もう、忘れてしまいました。
内容なんて今となってはどうでもいいんです。何年かに一度、思い出しては、住所すら判らないのにまた手紙を書いて、そして出さないままに時を過ごしていました。この手紙もきっとあなたには届かないでしょう。
|
|